8月10日
「でも、私には分かっている、あの人たちは、どうしてあげたら一番喜んでくれるのかが」
金曜日、雑多な人々でにぎわう夜の新宿にしては、ほとんど異世界に辿りついてしまったかのような、ひと気のない地下道であの『アンティゴネー』を買った女性に出逢う。
今日、彼女は岩波文庫ではなくて、新潮文庫の『アンティゴネー』が必要だったと言ってました。
白いシャツにジーンズ姿、バッグを肩にかけて歩く仕種やその雰囲気から一目見た瞬間に彼女だと気づきました。
今となっては自分でも、どうしてあんなことができたのか不思議でしかたありませんが、
私は彼女に迷わず声をかけました。
彼女も私を覚えていてくれたようでした。
『アンティゴネー』の万引きに成功して以来、何かが私のなかで高まったような気がします。
それは、何というか、私の劇作家としての才能というか、作家性のようなものでしょうか。
私にはそう思えてなりません。
私は彼女にそれを伝えて、認めてもらいたかったのかもしれません。
何しろそもそものきっかけは彼女です。
アンティゴネーのモデルとなった人物が彼の身の回りにいたりしたのでしょうか。
それともモデルなどいなくて、彼が作品のために想像して創った登場人物なのでしょうか。
今回は考えたすえに買うことにしました。
その後、また地下道に戻って、もう一度彼女と出逢ったときのことを思いかえせないかと思って、通路を歩く。