ikiune diary 日々の出来事

息畝実/イキウネミノルが、その日見たり感じたことを綴ります。

10月13日

まず、これが芋名賀姉妹の喫茶店です。小さいながらも地元の人からは評判がよく、常連客が通います。

f:id:ikiuneminoru:20121018220956j:image
 
芋名賀姉妹は姉がりえ、妹がきえ。
彼女たちは震災の影響で両親を亡くして、今は二人で、この南相馬で暮らしています。
第三幕において、ある日、彼女たちは自らがアンティゴネーとイスネメであることに目覚める事になる。

もうひとつ。この場所はハイモンのために選びました。広大な景色が一面に広がっている。今日は犬を連れて散歩している人や、二頭の馬が走っていました。
南相馬では、野馬追という、この町に古くから伝わる行事があるそうです。その野馬追がここで催される。そのポスターが町の至る所に貼られていました。
f:id:ikiuneminoru:20121018214759j:image

 

10月13日

 

2日間だけ世話になったゲストハウスATOMAを出て、福島駅から午前9時30分発のバスに乗る。
途中で飯館村をバスが通る。ここは通り過ぎるだけで降りられないが、ここのどこかに仮設住宅のおばさんが暮らしていた家と例のガードレールがある。

昼前に原町の駅前に到着して、町の中を歩いていく。小道に入って更に歩くと営業しているのかどうか分からない錆びれた映画館、朝日座がある。

中に入ると有名人のサインや年季の入ったポスターが劇場の入り口の辺りに飾ってあり、劇場内は暗くて奥にいくほど、席がどこにあるのか見えなくなっていく。それに、かすかな物音でも響くほど静かだ。

 


第三幕では、桑原さなえが占い師のテイレシアスとして登場し、福島駅からここまで私を導くシーンがあります。

f:id:ikiuneminoru:20121017013221j:image

 

 

10月12日

第三幕は、境界をのりこえる。

これによって息畝版アンティゴネーはあらゆる境界を横断するだろう。

試写/死者

映画/演劇

戯曲/上演

過去/未来

雲雀うめ美/アンティゴネ

福島/東京

それは、これらの境界に揺さぶりをもたらし、新たな可能性が開かれることでもあると私は信じています。

 

10月8日

今日は取材というか、もう一度飯館から避難している女性にインタビューしにいった。家を追われるとはどういう事か再び深く知りたくなった。もう一度、電車に乗り仮設住宅へ向かいます。

着いてから、この前もらった電話番号にかけてみました。二度かけて出なかったので、仮設の周りを一周ゆっくりまわる。元学校だったこのスペースには二宮金次郎の像や校庭のフェンスが残っている。

f:id:ikiuneminoru:20120923133659j:plain



その後、入口のすぐ横のベンチに座って着信を待つ。1時間くらい経った頃だろうか、もう一度かけ直してみる。すると、あの飯館の女性の声がします。私はこの前会ったものですと言い、もう一度インタビューをさせてくれないか、と申し出ました。

「今、飯館の家いるから、もう少し待ってくれないか」と言われました。彼女は二週間に一度、家に風を通しにいくらしい。

もう一度、家に上げてくれ、お茶までいただいてしまった。

 

f:id:ikiuneminoru:20120923133926j:plain



また飯館の現状や彼女自身の来歴について聞く。お家の人があるTVの投稿番組に出た時の話をしてくれました。

それは、家の下のガードレールからある瞬間にコーンという甲高い音がする現象を紹介したものらしい。

その時、県外からも大勢のひとがやって来て何の変哲もないガードレールに人だかりができたと言います。

けれど、今、飯舘村に住んでいる人はいません。

私はそのガードレールの人だかりが幻だったかのような印象を受けました。あるいは絵本のようなおとぎ話の世界です。勿論、本人から聞いているのだから間違いのないはずなのですが。

私の頭の中では勝手にガードレールの音が聞こえます。見たこともないガードレールから聞いたことのない音が聞こえます。

その音に耳を澄ますことで、飯館と繋がれる、気がしました。

f:id:ikiuneminoru:20120923133003j:plain

 

10月6日

今日は、会津若松の駅からバスで20〜30分の塩川という町にいます。
昼頃から夕方まで会津若松駅の周辺をすこし歩いてまわった。
休日で、しかも祭りが催されていていたため人が大勢いました。
ただ、アンティゴネーは見つからない。

福島に来てから、しばらく時間が経った。
まだ私の戯曲は第二幕を終えた段階とはいえ、いくつかの地で重要なインスピレーションを授かったことは大きかった。
今は居心地がいいからといって同じ場所に長く留まろうとは思わない。
というよりも、別の場所に移動した方がいいのではないかという直感が働く。
f:id:ikiuneminoru:20121007223021j:image




10月4日

ふと思った。桑原さなえは、毎日をどのように暮らしているのだろうか。住所不定と書かれた紙を配って、泊めてくれる人がいたら、そこに泊まったりするのだろうか。

いつも、そのようにして転々とどこかに移動しているのかもしれない。

住所不定ということは、家が無いということだろうか。親や兄弟など、家族はどうしているのか。住む場所を探すという事はしないのか。
彼女のまなざしはどんなものか。
という事。
f:id:ikiuneminoru:20121005100709j:image

10月3日

福島に滞在しながら考えを巡らしています。アンティゴネーのこと、私が書いている戯曲のこと。書けない時は苦しく途中挫けそうになります。それでも何とか書き進めようと思う。その繰り返しです。

本屋に立ち寄り、本をぱらぱら捲っていたら、ブラッドベリについて書かれている次のような文章に出会った。

時間的概念としてのブラッドベリ宇宙を支配しつつある主たる症状は、この「さみしさ」という病気である。もちろん、それを「病気」とするのは、正しくないかもしれない。この宇宙にあっては、「さみしさ」を病んでいるのが常態であって、それ以外の場合は考えられないからである。あるいは、もっと言えば、我々の宇宙を宇宙たらしめているそれが、「さみしさ」とその法則性であるかもしれない。我々はその法則性と通じることによってのみ、その宇宙の深みを垣間見ることが出来るのかもしれないのである。
ともかく、空間的な概念の中にあっては、ひとつの病気であり、衰弱の表徴でしかない「さみしさ」が、時間的な概念の中にあっては、ひとつの力であり、智恵であり得ることをブラッドベリは、教えてくれているようである。

今の自分の気持ちを表しているようでもある。さみしさを私は背後に常に感じています。

最近はお金が無くなくなりました。どんどん食べない方向に向かっています。飢えと空腹との戦いです。

もうすぐ宿も追われ、野宿するのことになるだろう。しょうがない。自分で選んだ道なのだから。

f:id:ikiuneminoru:20121004105703j:image